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otennki

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いまどきは大変

仕事で子を持つお母さんの相談を受けていると
いまどきの「母親」は、いくつかのパターンに分かれているのだなぁと
つくづく思ってしまいます。
ざっくりいうと、優先順位の問題かもしれません。
子ども優先か、あるいはほかのことが優先か。

「子どもが優先」だとオールOKかというと実はそうでもなくて。
そういう母親は、自分が子どもにする全ての言動のみならず
子どもに関わる存在すべての言動に神経をすり減らしてしまう。
「学校で先生がうちの子に○○といった」「ママ友がうちの子に△△と言った」
これってトラウマになるんじゃないかと心配で、という相談が実に多く。
母親自身は、子どもへの接し方に気をつかっていて、かつ、ものすごく勉強しています。
「トラウマ」という言葉が出ること自体がその証左でしょう。
叱ることよりも謝ること、諭すことより良いところを探して褒めることに
力を注いでいるようです。
だからいっそう、他者の我が子への言動が気になるのかもしれません。

ほかのこと優先というのは
別に自分の人生を楽しんで子どもを後回しにしているのではなく
生活のしんどさや家族間の葛藤に悩みきっている母親。
いろいろに聞いているうちに、母親自体が虐待に近い状況になっていることもあります。
誤解がないように言えば、だからといって子どもを憎んでいるわけではないのです。
ただもう、とても子どもに気が回らないような日々に身を置いていることが少なくないのです。
もちろん、日々報道されている虐待事件が皆、子どもを愛しているけど
やむにやまれぬ生活上の悩みでそうなった、という気は毛頭ありません。
ただ、「子どもが愛せない」とか「言うことをきかなかった」という以外の理由で
虐待らしきものが起きていることもある、という話なのですが…。

気になるのは、前者の方です。
後者は、様々な社会の仕組みのなかで、少しずつ目が向けられ始めていますし
間違いを間違いという空気ができはじめているので。
前者の、子どもを壊れやすい飴細工みたいに扱う親子関係がどこに向かうものなのか
皆目見当がつかないのです。
子ども自身が、先生なりママ友達の言動を「いやだ」と言っているのですか、と尋ねると
「子どもはそうは言わないけど、あとになってそのことがトラウマになることもあると思う」
という母親。
話の主語は「子ども」ではないのだな、
「私が私の子どもに○○と言われたことが心にひっかかる」ということなんだな、と
理解する私。

…どうなんでしょうね。
子どもはずっと無菌室では育てられない。
大人になれば嫌になるほど嫌なヤツと接せざるを得ず、その時にうまくパンチを交わす術は、自分で身につけるしかない。
親が守って判定してくれる時間なんて、そう長くはないのだから
子どものことを、信じて見守っては?
と。個人的にはそう思うのですが。
日々の出来事を「トラウマ」という重い言葉の定義に当てはめながら生活する母親は
相当にしんどいのではないかと。

私こそ、子育てについては物の本や後知恵しかないので
そういう時は、ひたすら母親を支えることに努めます。
「あなたは母親としてできることを頑張っているのね。その姿勢は○○ちゃんにも伝わると思いますよ。
ただ、母親が自分のことで悩んでいる、というのは
子どもも気が抜けなくなっちゃうので、少し呑気なお母さんになってみては」

…気休めかも、しれないな。
家に戻ってふりかえっては、何とも言えない気持ちになる今日このごろ。



029          そういう四方山での反動か、ついついむうざるは叱ってしまう私(笑)
         今日もへんてこりんな寝方してます、むうざる。

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